お寺の手帖

「お寺の手帖」は暮らしの中で役に立つお寺の知識や、宗派や尊像など、
みなさまが興味をもたれるお話を当寺副住職の浅井将玄上人がわかりやすく語ります。

仏事の事

年回忌の話

2020年2月14日(金)

以前、お檀家様より

「何故、年回忌法要は毎年ではなく、3と7がつく年なんですか?」

とご質問がありました。

確かに一周忌から始まり、三回忌、七回忌、十三回忌と続いていきます。

それ以外のご命日は祥月命日といって、ご命日には変わりはないのですが、お寺で法要を行う方はあまり多くはございません。

本来ですと法要をして頂いた方が丁寧なのかとは思いますが、お寺に来て頂くという面でも費用の面でもご負担が大きくなります。ここ盛圓寺では、祥月命日忌の日にお塔婆を建てておいて下さいとのご依頼を良く頂きます。

故人を偲んでお気持ちを向けて頂けるのも、故人様の生前のご人徳、お人柄があってこそかと思います。

また一周忌は亡くなってから丁度1年の節目で行われる法要なので一周忌ですが、三回忌から七回忌と年回忌法要になっていきますと、数え年と同じ感覚で亡くなった時には既に1とカウントされます。

ですので丁度1年後に一周忌、丁度2年後に三回忌と言う数え方になります。

上の例に例えれば七回忌は亡くなってから丁度6年目に行う法要と言うことです。

話がそれましたが、では何故3と7の時なのでしょう。

諸説ございますが、この風習は日本で始まったものであって、仏教のもともとの風習ではないようです。

一つには十三仏信仰が関係しております。

十三仏とは初七日から三十三回忌までの、合わせて十三回の法要の守護仏です。

故人は、十三の仏様に守られて霊山浄土に導かれ成仏するとされています。

十三仏は、初七日 不動明王(秦広王)、二七日 釈迦如来(初江王)、三七日 文殊菩薩(宋帝王)、四七日 普賢菩薩(五官王)、五七日 地蔵菩薩(閻魔王)、六七日 弥勒菩薩(変成王)、七七日 薬師如来(泰山王)、百カ日 観音菩薩(平等王)、一周忌 勢至菩薩(都市王)、三回忌 阿弥陀如来(五道転輪王)、七回忌 阿閃如来(蓮華王)、十三回忌 大日如来(祇園王)、三十三回忌 虚空蔵菩薩(法界王)の事を指します。

これらの仏様が三回忌、七回忌、十三回忌、三十三回忌を守られていることから、3と7になったという説があります。

もう一つの説も、ただ適当にではなく仏教で大切にする数字になぞらえたと考えられます。

「7」は、お釈迦様がお生まれになったとき七歩お歩きになったという説も有名ですが、これは、私たちの迷いの姿である「六道」の世界を超えた悟りの世界に至る、ということを示しており、そこから「6」を超えた数字の「7」という数字が、迷いを超えるという意味で大切にされると言われます。

「3」も同じく、「2」を超えるという意味で、「2」を超えるというのは、「有・無」「勝・負」「損・得」というような両極端に偏った考え方を離れ、中道の生き方をするということを意味します。中道と言うのは、仏教でさとりを目指す上で大切な考え方であります。

お釈迦様も息子であるラーフラに、「二を超える生き方をせよ」とお教えになりました。そういう意味で「3」という数字も大切にされるそうです。

そこから毎年ではなく、せめて仏教で大切にする数字の年忌にお勤めしようということが習慣化し、「3」と「7」のつく年忌が行なわれるようになった、ということです。

地域によっては二十五回忌を行う場所もありますが、これはおそらく、回忌上げの五十回忌の半分というところからつけられたのかと思います。

年回忌法要や、「3」や「7」と言った数字の意味などをお教えしてきましたが、何よりも大切な事は、ご先祖様である故人様を偲んで思いや気持ちを向けて差しあげる事が何よりも一番大切です。

形だけやっても何の意味もなく、その回忌法要毎に自分のお爺ちゃんやお婆ちゃん、またはお父さんやお母さんの生前の姿を思い出しながら、感謝の気持ちを込めて手を合わせる。

お会いした事がないご先祖様でも、自分がここに存在していると言うことは、そのご先祖様がいらっしゃらなければ自分はここに居ないのですから、ありがとうと感謝の気持ち込めて手を合わせてあげて下さい。

法要を勤める私自身も一つ一つのご縁に感謝しながら、日々お勤めして参りますので、皆様もご一緒に手を合わせてお題目をお唱えして下さいましたら幸いです。

本日は年回忌のお話でした。

御会式(おえしき)について

2019年11月4日(月)

秋らしい気候になりましたが、日本各地の台風被害に遭われた方々の一刻も早い復興を願っております。
盛圓寺は墓石も倒れず、建物も被害なく何とか持ち堪えましたが、日蓮宗の寺院の多くは被害に遭われてしまっております。

そんな中でも台風19号が10月12日に関東に直撃しましたが、この日と次の日である10月13日は我々日蓮宗としてはとても大事な日でございます。

10月13日は日蓮聖人がお亡くなりになった日です。その前日はお逮夜(たいや)と呼ばれて、御入滅の地である池上本門寺様では万灯(まんどう)行列が各寺院から出され、屋台も出てお祭り騒ぎです。

ですから、これまでずっと何百年と続いてきた万灯行列も今年は未曾有の災害で行われなくなってしまいました。
私も18才から8年間学寮で行脚を行い参加しておりましたので大変残念です。

しかし、次の日の朝は台風一過で晴天の中万灯行列が行われたと聞いて安心いたしました。

日蓮聖人のお亡くなりになった日に行う法要を「御会式」と言います。
御報恩会式が短くなって御会式となり今年で738回目を迎える大切な法要です。
他にも御影講(みえいこう)、御命講(おめいこう)とも呼ばれ、安藤広重の浮世絵や松尾芭蕉の俳句の季語などにも出てくる事から昔から大切にされ、庶民の生活の一部となっていた事がよくわかります。

前説が長くなりましたが、去る10月27日に盛圓寺でも御会式法要を執り行いました。
毎年10月の最終日曜日が盛圓寺の御会式ですので皆様奮ってご参加頂きたくおもいます。
盛圓寺では毎年、花の会の方々が立派な生花を御奉納して頂きとても華やかに行います。

今年は私の希望(わがまま)で天井に紙で出来た花を飾ることによってさらに華やかさを感じる本堂になりました。

と言っても私は紙花を作りたいと言ったは良いですが、花は家内が夜通し作ってくれて、私は何もしないで口だけ出した結果になったのですが…笑

では、なぜ花を飾るのかと言うと、日蓮聖人が亡くなられた1282年10月13日に、季節外れの桜が咲き誇ったと言われる伝記をもとにしております。これを御会式桜と言います。
ですから、万灯でもこの花を至る所に飾って練り歩きます。
万灯の中に纏(まとい)があります。
纏と言えば、江戸時代に火事の時に屋根の上で纏持ちが消火活動の目印として振って士気を高めたものですが、纏を持たせたのは大岡政談で有名な大岡越前守様が始めさせたという話も残っております。

では何故、万灯と纏が関係するのかと言うと、江戸時代に団扇太鼓を打ち、お題目を唱えて行進するのを見て職人たちが法被姿で纏を担いで参加したのが始まりなんだとか。

後は、団扇太鼓はもちろん、チンチロチンチロ言う鉦や笛が入り、とても賑やかな行列になります。

昔は盛圓寺にも万灯講があり、昔の地元の方の話を聞けば秋祭りとして檀家であろうがなかろうが関係なしにみんなで纏を振ってお祭り騒ぎをしたという話を聞きます。

万灯講を復活させられれば、若い人にも御会式と言う法要、行事に興味を持って頂き、皆様で日蓮聖人の御命日に感謝の気持ちを捧げる事が出来るのかなと思っております。

この記事を読んでくださった皆様、もし興味があれば来年の10月12日の夜に池上本門寺様にお参りに行き、万灯行列を生で味わってみて下さい。

しかし、最近はかなりの方々が集まり、お祭り傾向に偏ってますので無法者のちらほら散見致します。
男性の方は喧嘩やスリ、女性の方はナンパに気をつけて頂きたいと思います。

盛圓寺万灯講復活を夢見て、本日の手帖はこの辺で終わりにしたいと思います。

お塔婆の話

2019年8月4日(日)

今回はお塔婆についてお話ししたいと思います。

お塔婆は皆さまにもよく馴染みのある存在ではないかなと思いますが、最近流行りの樹木葬やロッカー式の方はあまりご縁がないのかと思います。

お塔婆は卒塔婆などとも言われており、起源はお釈迦様のご遺骨を安置する仏舎利塔が始まりとされています。

この仏舎利塔はインド映画やアラジンなんかで出てくるソフトクリームみたいな形の屋根の様な形をしており、その先端には死者が灼熱のインドで死者が暑さに苦しむだろうと、墳上に日除けの傘を立てる風習がありました。

さらに月日が流れ段々と高さがまし、日傘も亦その数を増し、三国時代中国に伝って中国独自の楼閣建築と結びついて、幾重かの基壇が重層塔の屋根となり、塔の本体である土饅頭は伏鉢としてその上に祀られ、多数の日傘は一本の竿に整理されて今の五重塔のような形になっていきました。

朝鮮を経て日本に伝って瑜祇塔(ゆぎとう)・多宝塔・三重塔・五重塔、あるいは石造の一三重塔が建造され「卒塔婆」は「塔」と称されるようになりました。

ここまで話をして「ん?お塔婆の話なのに建物の話ばっかり」と思われた方。

鋭い!

そうです。とてつもなく端的に簡単に偏見を持って一言で表すと

お塔婆を建てること=五重塔を建てること

となるのです。かなり強引ではございますが塔を立てることが供養となるのです。

お釈迦様は法華経の「如来神力品第二十一」というお経の中で「塔を建てて供養すべし」とお説きになられてます。

つまり塔の起源はお釈迦様のお墓である仏舎利塔ですから、お墓を建てることも、お塔婆を建てることもとてつもない徳を積むことに、ご先祖様や亡き方の供養になるのです。

最近、樹木葬や散骨なんて流行ってますけど上記のお経にも反してるわけですから私は心からお勧めしません。むしろ大反対です。

我々の生活も平屋の家から高層建築のマンションに変わったと同じく、お墓もロッカー式になることは構わないとですが、せめて一番上に塔があるものをお勧めします。デザインがどんなにダサくてもです。

と、お塔婆の話ではなくお墓の話で熱くなってしましましたので、戻します。

日蓮大聖人もお塔婆に関するご遺文が残っております。

弘安二年(一二七九)一一月三〇日、幼くして世を去った娘さんの十三回忌供養のため、佐渡から、身延の草庵を訪ねた中興信重に託して、故入道の未亡人に送られた『中興入道御消息』というご遺文があります。

ここでは、十三回忌追善供養に因んで、娘さんの未来の成仏を祝福され

「去(みまかり)ぬる幼子(おさなご)のむすめ御前(ごぜん)の十三年に、丈六のそとば(卒塔婆)をたてて、其面(おもて)に南無妙法蓮華経の七字を顕はしてをはしませば、北風吹けば南海のいろくづ(魚族)、其風にあたりて大海の苦をはなれ、東風きたれば西山の鳥鹿、其風を身にふれて畜生道をまぬかれて都率の内院に生まれん(略)此より後々の御そとばにも法華経の題目を顕はじ給へ」と教示されている。

簡単に説明すれば、「お塔婆の表にお題目を書いて供養すれば、そのお塔婆に触れた北風が南海にいる魚たちを供養して、また東風が吹けば西の山の野生動物もその功徳によって畜生道から抜け出せるだろう。これから後もお塔婆にもお題目を書いて供養してください」

といったような内容です。

ですからお塔婆というのはとても大切なんです。

法事や色々な法要でお建てになることがあると思いますが、その時にご当主だけでも構いません。できればご家族皆さまのお名前でお建てになったほうが家族皆さまがご供養をした、徳を積んだ、ご先祖様や亡き方にご供養の思いを伝えられたと言ったような気持ちになって頂けると思います。

今回はお塔婆のお話でした。

お彼岸

2019年3月19日(火)

暖かくなり春の訪れを感じる季節となりました。お寺の梅の花は咲き終わってしまってしまいましたが、通り沿いの河津桜は今を盛りと咲き誇っております。他にもしだれ桜や八重桜など桜も三種類ございます。春は出会いと別れの季節とよく言いますが、早速私にも出会いがありました。
それは花粉症です。
27歳にしてまさかの花粉症デビュー。

くしゃみがよく出るので風邪かな?なんて思っていたのですが熱は無く、鼻がムズムズして喉もイガイガ、そして目頭の痒みと顔全ての器官に支障を感じて日々生活をしております。

まだ薬には頼らず自然治癒力で完治してやろうと最後の悪あがきをしてます。
恐らく来年からは薬を貰いにいくと思われます。

私ごとはこの位にしておきまして、18日より一週間、お彼岸になります。

お彼岸の「彼岸」は、「到彼岸」という言葉に由来し、サンスクリット語の「パーラミター」を訳したものです。パーラミーターとは漢字で「波羅蜜多」と書きます。

三途の川を挟んで、こちらの世界を煩悩と迷いの世界である「此岸」といい、向こう側の世界を、悟りの世界「彼岸」へといいます。

その彼岸に到達するために、「六波羅蜜」(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の修行を行い、彼岸はその修行をするための期間でもあります。

その期間に六波羅蜜の6つの修行を1日毎に行い、これを完結した人が7日目に川の向こう岸にある仏様の世界に行くことができるとされています。

この思想がやがて、我々日本人古来の風習や自然観、そしてご先祖様を崇拝するという習慣と結びついていくことで、今のお彼岸が生まれました。

お彼岸という期間は仏教の影響を受けていながらも、実は他の仏教国では設けられていませんし、ご先祖様を供養するというのも日本独自の風習です。

日本では、この期間には彼岸会の法要を行っているご寺院が多く存在します。宗派は問わず、お檀家様同士で集まってご先祖様を供養しお墓参りをするという日本古来のお彼岸の風習が根付いているのです。

ではなぜお彼岸とご先祖様の供養が定着したかというと、この時期になるとお盆と同じく帰省や里帰りをして先祖のお墓参りに向かう人が多くみられます。

また、春分の日や秋分の日は昼の時間と夜の時間が等しくなるとされており、我々の世界である此岸と仏様の世界である彼岸が最も近く通じやすくなる日であると理解されるようになりました。
次第に、春分の日と秋分の日に、ご先祖様の供養の法要を行えば、ご先祖様だけでなく自分自身にも功徳がくるとされ、またご先祖様への思いも最も通じやすくなるのではないかという思想が生まれ、お彼岸にはご先祖様の供養のためにお墓参りをするという行事が定着していったようです。暑さ寒さも彼岸まで、なんて言葉もあります。これから暖かくなって外出がしやすくなる季節となります。境内には、春に見頃となるお花がいっぱいございます。是非ご先祖様のお参りのついでにお花を楽しみにお越しください。お待ちしております。

無財の七施

2019年2月1日(金)

更新が滞ってしまい申し訳ありません。

私事ではありますが昨年の四月に息子が誕生し、新米パパとして奮闘中の身でありまして更新する暇がありませんでした。

はい、言い訳です。申し訳ありません。

子供に対する親の愛情というのは、自分が親の立場になって初めて気づく物なのだなと実感しながら日々邁進してますが、この「親の愛情」こそ見返りのない愛情なのでは無いかなと思います。

私も含め基本的にはすぐに見返りを求めてします。

「○○をしてあげた」

なんて言う人が良くいますが、「あげた」といった時点で自分の方が上から物をいってますね。

さらにもう一言足すと

「○○をしてあげたのに」

なんて言ってしまうと、完璧に見返りを求めてますね。

自分の過去を思い返せば良くこの言葉使ってしまっています。

しかし不思議と子供に対してこの言葉は出てこないものです。

「ミルクを作ってあげたのに…」

「オムツを替えてあげたのに…」

世の中のパパさんママさんどうでしょう。話の文脈で言ったことはあっても、この言葉のみで発した方は少ないのでは無いでしょうか。

なぜなら見返りなんて求めていないから。むしろ元気で健やかに育ってほしいと自分の身を削ってでも我が子を案じます。

仏教では布施という言葉があります。

布施とは六波羅蜜(菩薩様が行う6つの修行方法)の一つで施しを行うことを指しますが、この中で「無財の七施」という物があります。

お布施と言えばお金をお寺に払うなんて思っている方も多いと思いますが、そんな金品に限ったものではありません。

たった今からでも実践できる、得を積むことができる修行なんです。

その無財の七施とは

一、眼施(慈眼施)
慈(いつく)しみの眼(まなこ)、優しい目つきですべてに接することである。

二、和顔施(和顔悦色施)(わがんえつしきせ)
いつも和やかに、おだやかな顔つきをもって人に対することである。

三、愛語施(言辞施)
ものやさしい言葉を使うことである。しかし叱るときは厳しく、愛情こもった厳しさが必要である。思いやりのこもった態度と言葉を使うことを言うのである。

四、身施(捨身施)
自分の体で奉仕すること。模範的な行動を、身をもって実践することである。
人のいやがる仕事でもよろこんで、気持ちよく実行することである。

五、心施(心慮施)(しんりょせ)
自分以外のものの為に心を配り、心底から、共に喜んであげられる、ともに悲しむことが出来る、他人が受けた心のキズを、自分のキズのいたみとして感じとれるようになることである。

六、壮座施(そうざせ)
わかり易く云えば、座席を譲(ゆず)ることである。疲れていても、電車の中ではよろこんで席を譲ってあげることを言う。さらには、自分のライバルの為にさえも、自分の地位をゆずっても悔いないでいられること等。

七、房舎施(ぼうしゃせ)
雨や風をしのぐ所を与えること。たとえば、突然の雨にあった時、自分がズブ濡れになりながらも、相手に雨のかからないようにしてやること、思いやりの心を持ってすべての行動をすることである。

の七つです。文字の通り財(金品)の必要としないお布施です。

七つをじっくり見てると子育てこそ無財の七施な気がしませんか?

菩薩様の修行方法なだけあって、見返りはもちろん望みません。見返りを求めた時点でお布施ではなくなってしまいます。

子育ては幸せな大変さです。赤ちゃんは泣くことしかできませんからその泣き声で求めていることを察する。いつも一緒にいるママには分かるんです。本当に頭が下がります。

たまーーに子供と二人でお留守番すると大変さが痛いほど分かります。こんなこと事をいうと万分の1も理解できてないで知ったかぶりしないでなんて怒られそうですが…

幸せと思うことも多くあると思いますが、楽しいことばかりじゃありません。辛いことも悲しいことも時には自分を恨むことのいっぱいあると思います。

途中で嫌になって投げ出したくなることをいっぱいあると思います。そんな時はこの「無財の七施」を思い浮かべて、世の中のパパさんママさんの心のモヤモヤを取り除き、少しでも自分のしている事に間違いは無いと思ってもらえれば幸いです。

とりとめのない内容となってしましましたが、今回は見返りを求めない「無財の七施」のお話でした。