お寺の手帖

「お寺の手帖」は暮らしの中で役に立つお寺の知識や、宗派や尊像など、
みなさまが興味をもたれるお話を当寺副住職の浅井将玄上人がわかりやすく語ります。

今月の聖語

今月の聖語 令和5年3月

2023年4月1日(土)

南無と申す字は敬う心なり

日蓮聖人御遺文『内房女房御返事』

解説  =尊敬と羨望=

世界や社会で活躍する人たちは、その努力や人柄、結果に対して多くの人から尊敬の心を抱かれます。しかし、ときとして私たちはその副次的に得る富を成功や尊敬の証と短絡的に考え、そこだけを真似することも多いです。つまり高価なものを所有するなどして、尊敬と似て非なる羨望を受けたいという欲求を起こすのです。実は羨望は妬みとも解されます。
身近で尊敬される人とは、困っていたら助けてくれたり、的確な助言をくれたり、いつでも親身になってくれる人です。あなたにそういった尊敬できる人がいるならば、それはあなたがそこに至りたいと思っているからです。あなたはあなたのままで尊敬する人を鑑としながら人生を歩んで行けば、意識せずあなたがまた人から尊敬される存在となります。羨望されたいは捨てて、尊敬されるような生き方は周りをも幸せにします。

日蓮聖人ご遺文  『内房女房御返事』
父親を亡くしてから日の浅い女性に宛てられたお手紙です。勇気づけようと故事や譬えなどを用いてわかりやすく書かれ、親身に女性に向き合う姿が浮かびます。
弘安3年(1280)聖寿59歳

今月の聖語 令和5年1月

2023年2月1日(水)

春のはじめの御悦びは月のみちるがごとく

日蓮聖人ご遺文『四条金吾殿御返事』

解説 =悦びあふれる1年に=
新春を迎えるとき、多くの人が一斉に新たな心持ちでスタートをきります。人間は個性はあっても差はありません。新春は、それぞれがそれぞれの目標に向かって、それぞれの道を歩み出す節目にさせてくれます。
何かが始まるときは挨拶で「今日の佳き日に」や「おめでたい日を迎え」といます。大変なこと、辛いこと、嬉しいこと、悲しいこと。これからいろいろなことが起こるのに、「おめでたい」といいます。たとえ、すぐに受け入れられない出来事が起きても、それでもやがて受け入れながら道を踏み締め、また歩むことができる始まりや節目なので、おめでたいのでしょう。
皆さんへ春の初めのお悦びを捧げます。あなたを含め、世界の人たちが喜び溢れながら人生を歩めるように、今日も私たちは南無妙法蓮華経を唱えています。それが日蓮宗の願いだからです。

日蓮聖人ご遺文
『四条金吾殿御返事』
最晩年の日蓮聖人が信徒へ宛てた「春のはじめのお悦び」と希望溢れる明るいメッセージではじまる正月のお手紙です。このように聖人はいつも多くの人に寄り添い続けていました。
弘安5年(1282)聖寿61歳

今月の聖語 令和4年12月

2023年1月1日(日)

仏を良医と号し 法を良薬に譬へ 衆生を病人に譬ふ

日蓮聖人ご遺文『聖愚問答鈔』

解説  〜3つの薬と大きな願い〜
大切な人を失った悲しみや苦しみの心の病を治すための薬は主に3つあります。2つは「泣き薬」と「時薬」です。涙が枯れるくらい泣いたり、時間の経過で気持ちが落ち着き、少し前を向くことができる場合があります。3つめは「偲び薬」で、「供養する」ことです。これは故人のために花や好きだったものを供えるなど、何かすることで自分の心も癒やしていくことです。この3つでの一番の良薬は何かしてあげられているという喜びに変わる可能性がある「偲び薬」かもしれません。
さて掲げた3行は、私たちを病人に譬えた場合、仏さま(釈尊)は良い医者であり、仏法(法華経)は良い薬であるため、私たちを救ってくださる、という意味です。すべての人を救おうとされる仏さまの大きな願いのなかに生かされている私たち。あなたの願いは仏さまの願いでもあるのです。

日蓮聖人ご遺文
『聖愚問答鈔』
上下2巻の書ですが、ご真筆は確認されていません。世間の無常を嘆く人たちが聖者に導かれて心の平安を得るという設定で論が展開されます。

文永2年(1265)聖寿44

今月の聖語 令和4年11月

2022年12月1日(木)

蒼蠅(そうよう)

驥尾(きび)に附して

万里を渡り

日蓮聖人御遺文『立正安国論』

解説  〜豊かな人生のために〜

蒼蠅とは青バエのこと。驥尾とは1日に千里を走る駿馬の尾のことです。小さな羽虫でも良馬の尻尾につかまっていれば、考えられないような距離を進むことができます。つまりどんな人でも、進むべき道を示してくれる師匠が立派なら、自ずとその域に近づいて行けるということです。
哲学者の森信三氏は、「人はすべからく、終生の師をもつべし。真に卓越せる師をもつ人は、終生道を求めて歩きつづける。その状あたかも、北斗星を望んで航行する船の如し」と、人生の道筋を示してくれる良き師との巡り会いを重視しています。
良き師とは、人だけではありません。自分自身が見聞きするものすべてです。それらに生涯教えを請うことで、知らず知らずのうちに、人生が豊かになっていくことでしょう。

日蓮聖人ご遺文『立正安国論』


日蓮聖人が鎌倉幕府へ奏進したもので、正しい教えを立てて、国家を安らかにするという祈りの書です。自身を蒼蠅に例え、驥尾を法華経と位置づけ、思いを綴った箇所です。
文応元年(1260)聖寿39歳

今月の聖語 令和4年10月

2022年11月1日(火)

石中の火   木中の花

日蓮聖人ご遺文「観心本尊抄」

解説   =秘めたる可能性=

この世の中には、自身の目では見えないものがたくさんあります。詩人金子みすゞは『星とたんぽぽ』という詩の中で、昼間の星やたんぽぽの根っ子は「見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ」と語りかけます。
私たちは目に見えない大事なものの存在を見落としがちです。私たちの内面には計り知れない可能性が秘められています。だけれども、なかなかそれに気づけないことのほうが多いのです。
昔は石を打って火を起こしましたが、普段石の中に火があることを見いだせますか? 枯木にどうして満開の花を想像できますか? けれども、きっかけや時が来れば今は見えないものが現れ出るのです。
だから私たちは信じましょう、今は気づいていない未来や大きな可能性があることを。

日蓮聖人ご遺文
『観心本尊抄』
引用の部分は、日蓮聖人が私たちの心の中に、仏さまの心が宿っていることを解き明かしてゆく部分です。本抄は日蓮聖人の大切な教えの軸となる最重要書の1つです。
文永10年(1273)聖寿52歳

今月の聖語 令和4年9月

2022年10月1日(土)

迷う時は衆生と名づけ

悟る時をば仏と名づけたり

日蓮聖人御遺文『一生成仏鈔』

解説  〜仏を真似る〜

お彼岸は、私たちの迷いをおさめ、善き心と行いを積み重ねることを勧める期間です。悟りと迷いの日々の中、人を救いたいというお釈迦さまのお気持ちにどれだけ近づき、同じような行いができるでしょうか…。
徳川光圀公は、巡行の折に、親を背負って行列を見せた孝行息子に褒美を取らせました。次の時、それを真似した悪童にも褒美を与えました。納得のいかない家臣に一言。「悪行を真似れば悪人となり、善行を真似するなら善人となろう。善きことを真似するのは、大いにけっこう」と、家臣を諭しました。
手を合わせるお釈迦さまのお姿は、すべての人やものを敬う尊いお姿です。私たちの生き方のお手本となります。人間の善き心と善き行いは、周りの人を幸せに導きます。まずは手と手を合わせる仏さまのお姿の真似をしてみることから始めてみましょう。

日蓮聖人ご遺文
『一生成仏鈔』
富木常忍に与えられたとされ、心からお題目を唱え、一生のうちに成仏の極みが得られるよう勧められた御書です。一生成仏とは即身成仏に置き換えられる言葉です。
建長7年(1255)聖寿34歳

今月の聖語 令和4年8月

2022年9月1日(木)

日蓮が色心仏になりしかば

父母の身もまた仏になりぬ

日蓮聖人御遺文『盂蘭盆御書』

解説   〜親子の繋がり〜
もし、あなたがすでにご両親を亡くされていたとします。亡き両親の幸せってなんなのかを考えてみてください。 供養してあげること? たくさん思い出してあげること? ずっと忘れずにいること?
どれも間違っていません。でもちょっと見方を変えてみましょう。生きていた時の両親の目線で。あなたが笑っていた時や嬉しかった時、きっと同じ気持ちだったでしょう。「我が心身は親がのこした体」。つまりあなたなのです。親子心身の繋がりは、たとえ時や場所が違っても切れるものではありません。あなたの心がけが、そのまま亡き両親に伝わります。
今月はお盆。ご両親が喜ばれるよう、自身の行いや思いを問い直してみる時なのかもしれません。
日蓮聖人ご遺文
『盂蘭盆御書』
本抄は、日蓮聖人がお弟子の日位上人の祖母に宛てたお手紙で、お盆のいわれを分りやすく説いた書簡です。供養品の返礼であるとともに、盂蘭盆の意味についての問いに、礼状に添えてその由来を書き送ったものです。授与者の名にちなみ『与治部房祖母書』という異称もあります。
弘安3年(1280)
聖寿59

今月の聖語 令和4年7月

2022年8月1日(月)

父母の恩のおもき事は

大海のごとし

日蓮聖人御遺文 『上野殿御返事』

解説  〜恩を返す〜

世の中が複雑多様化しても、変わらない思いや変えられない道理があります。それは感謝の心です。それを伝える「ありがとう」は、有り得ることが難しいという言葉です。人との出会いや物との巡り合い、そして生まれ出でること。すべてが何千、何万、何億分の1という確率で、そこに存在するから、有ることが難しい…だから有り難い。 今ある自分の存在もまた有ること難しです。そんな自分を世に出してくれた親を大切にしましょう。気付いているならそれでよし。いま気付かなくても必ずそれに感謝する時がきます。その時その広さ、深さ、重みを身に刻みましょう。
自分の手足に触れてみましょう。鏡の前の自分を見ましょう。それは全部親からの贈り物です。有り難い自分を大切にしましょう。あなたがあなた自身を大切にすれば、亡き親であれ、健在の親であれ、それが一番の恩返しとなるはずです。

日蓮聖人ご遺文
『上野殿御返事』
日蓮聖人が信徒の上野殿に送られたお手紙です。聖人自身は両親のお側にいてお仕えできませんでした。だからこそご両親への思いは人一倍でした。ご恩の大きさを一言で言い当てた一文です。
弘安3年(1280)
聖寿59

今月の聖語 令和4年6月

2022年7月1日(金)

何ぞ煩わしく

他の処を求めんや

日蓮聖人御遺文 『守護国家論』

解説  〜失敗は貴重な宝もの〜

誰でもしくじることはあるものです。ごめんなさいですむものならその場で解決できます。でも長い人生においては、簡単に一件落着とはいかず、落ち込んでしまうこともあります。そんな時、あなたはどうしますか。
思い出したくもない。さっさと忘れてすっきりしたい。
それも悪くはないでしょう。ただそれでは真の解決にはなりません。現実から逃避しても一時しのぎにしかなりません。それよりも、貴重な体験と見てはどうでしょう。失敗の原因を探り活かすことです。原因が分かれば失敗を繰り返さずにすむ方策が見つかるでしょう。自分一人で抱え込まず、時には同僚や先輩あるいは頼れる人に相談することも必要でしょう。こうすれば将来の自分、そして今後の人生をより良いものにできるはずです。失敗は今在る自分の姿を見つめるチャンスなのです。

日蓮聖人ご遺文 『守護国家論』
『立正安国論』と共に聖人初期の代表的な著述で、末法の時代における衆生救済と国家の安泰は法華経のみに限られることを説き明かしています。
正元元年(1259)
聖寿38歳

今月の聖語 令和4年5月

2022年6月1日(水)

著(き)ざれば風身にしみ、食(くらわ)ざれば命持(たもち)がたし

『松野殿女房御返事』/
弘安2年(1279) 

解説   =共に生き、共に歩む=

 自分のお金で食材を買い、自分1人で調理して盛り付け。「いただきます」と掌を合わせたとき、「自分で作った食事なのに誰にいただきますしてるんだろう?」と思ったことはありませんか?
 私たちは1人では生きていけません。食事も衣服も、自分以外の他の多くの人・多くのモノと互いに支えあって生きているのです。この「いただきます」の習慣はそれらとの深い結びつき(縁)を受け止めるという「感謝」のことばです。支えあっているのですから、こちらからの発信つまり他のために尽くすという行為がなくては成り立ちません。それが回り巡って自分自身に還ってくる。つまり他のために尽くすことが、そのまま自分を助けることとなるのです。

自分1人の利に駆られて他を害するなど、結果的には自身を傷つけることになるのです。

日蓮聖人ご遺文『松野殿女房御返事』
種々の供養品を受けた松野氏女房への礼状。前半に身延山の情景を記し身延こそは霊鷲山であると述べ、法華信仰者のあなたには仏のご守護の手が差しのべられていると結ばれている。

弘安2年(1279) 聖寿58歳